昔、私は証券投資の仕事をしていました。欧米やその他の国へも投資していたので「おカネ」についていろいろな感覚の違いに気がつくことがよくありました。
欧米の投資家は理論好きです。証券投資理論としてある程度理論が確立されているので。欧米の一般の個人投資家の人たちの実態はよく分かりません。つきあいが機関投資家と呼ばれる人たちで、年金基金や財団、投資銀行やミューチャルファンド(投資信託)、ヘッジファンドなどの人たちです。
これらの人たちは、経済の大きな流れや個々の銘柄などの投資対象の投資機会を捉えて、リスク管理をしながら投資目標と実績を管理していきます。投資理論というのは統計学やオペレーションズリサーチという学問をベースにしたものが多く、軍事学ともちょっと似ています。
投資機会というのはほとんどが「ミスプライス」と呼ばれるもので、「本当はこれだけの価値があって然るべきなのに、何らかの事情で割安に放置されている」というような場合です。
でも実際には、これって日本の女性がスーパーマーケットで買い物するのととても似ているなと思います。スーパーAとスーパーBでサンマの値段が違う場合に、交通費や時間があまり変わらなければ、間違いなく安い方に買いに行きますよね。同じような市場から仕入れたサンマでもスーパーAがイワシをより多く売りたいと考え、スーパーBがより多くサンマを売りたいと考えた場合、注目商品としてのサンマの価格は違ってきます。これが「ミスプライス」です。スーパーの事例ひとつとっても日本人はミスプライスへの発見がうまいなと感じます。
投資機会にはもう一つ「トレンド」と呼ばれる現象があります。株価の上がり始めでもファッションの流行りはじめでもそうですが、最初はあるひと握りの集団の流行現象でしかありません。それが人づてに拡散したり、有名人がコメントしたり、報道されるとより多くの人たちが似たような行動をし始め、大きなトレンドを形成します。しかし、そのファッションが流行りすぎて特別感という価値がなくなったらそのトレンドの終わりが始まります。株価でもあまりにも価格が高すぎると、大丈夫かなという不安感が出てきて上昇トレンドの終わりが始まります。
このトレンドのスピードが速く熱狂的なのが中国の人たちです。不動産投資にも殺到し、不動産価格がどんどん上昇し国民全体が熱狂しました。しかし今は不動産バブルがはじけてゴーストタウンが中国のあちこちにあります。
「トレンド」で気をつけないと行けないのは「我を失う」ことです。「熱狂の中には身を置いても、心の中では醒めて一歩外から傍観している」ような冷静さが必要です。
これは何も投資に限ったことではなくて事業でもそうですが。
このトレンドへの繊細な感覚は日本人も男女問わず敏感です。外国人のファッションセンスなどを比較しても日本人はみなとてもこなれています。
これらが投資機会ですが、当然リスク管理も必要です。そのリスク管理で特徴的なのはイスラム教国の人たちです。これらの国は原則的に「イスラム金融」を採用しています。イスラム経済圏には世界人口の1/4の19億人がいて毎年2兆ドルを消費して、金融の規模も3兆6千億ドルに達しています。
教義で4つの禁止が決められていて、利子(リバーriba)、賭博や投機行為(マイスィルmysir)、豚肉や武器の取扱い(ハラムharam)、そして不確実性のリスク(ガラルgharar)が禁止されています。ガラルとは「自覚せずに自身と自らの財産の破滅を明らかにする」という意味ですが、聖典クルアーン第2章「雌牛」219節で酒と賭矢はアラーが罪と決めていることに由来しています。賭矢は矢を使ったくじで大きさの異なる肉の分配を決めるゲームで、公平や公正を重んじるイスラム教では認められていません。
現代の世でも「利子も投機もリスクテイクもダメなの?」と思うかもしれませんが、教義に則りガラルを構成する2つの要素を排除した取引はゴルム(ghorm)という概念で容認されています。
ガラルを構成する2要素とは「知識不足」と「取引対象物の不在」です。取引対象物の不在とは簡単にいうと「マネーゲーム」で、先物やオプション取引と呼ばれる取引手法は禁止です。例えば、商売で仕入れの際に売れる保証がないことや在庫中に不具合が発生するリスクなんかは売買に必ず内包されるべきリスクなのでゴルムとして容認されています。別の言い方をすれば「市場リスクやシステマティックリスクはOK」なのです。
禁止事項があるから、逆に知識を蓄え、実際に存在して確認できるモノのみに投資するという堅実な行動をすることでリスク管理のレベルを上げていると言えます。
日本人は、ややお人好しな面があるので、このリスク管理はちょっと甘いかもしれません。しかし、江戸時代から識字率が世界一高いので知識を蓄えることは得意です。あとは堅実な行動での経験値だけかもしれませんね。